山といえば...


 まだ東京にいたころ、知りあいの大阪育ちの人が「できれば東京には住みたくない、大阪にいたい」と言ってこう続けた。「私は近くに山がないと落ち着かないんですよ。」当時の私は「はあ?何を言っているんだこの人は」と思いながらも「東京だったら富士山が見られるじゃないか。」と言い返した覚えがある。それ以後似たような事を言う大阪人には会っていないが、今になってみれば上の全くかみ合っていない会話は、それぞれ東京人と大阪人の山に対するスタンスを良く表しているような気がする。無論今では「近くに山がないと落ち着かない」という彼の気持ちが少し理解できる。
 大阪には大阪平野という平らな場所があるが、これは関東平野と比べ物にならない位狭い。平野の終わりに何があるかというと当然山か海しかないわけで、大阪の場合西は海、他の方角は殆ど山に囲まれている。そんな訳で梅田でも高いビルに上がると東に生駒の山々が近くに見える。さらに南に行ってもやはり和歌山との間に山がある。北はどうかというと大阪府でも相当北に位置する阪大ではすぐ北は箕面の山が連なっている。阪神間はどうかというと、これはもう六甲の山々がそのまま海に突っ込んでいる状態である。高速で京都−大阪間を通ると天王山トンネルを通る。神戸や京都は言うに及ばず、結局大阪のどこにいてもどこかの方向のすぐ近くに山が見えるのである。ただこの「山が見える」という感覚は東京人にはちょっと理解しづらいかもしれない。東京にいると「何とか山」がぽつんと見えるというような想像をしてしまうのでね。もう少し正確にいると「小高い山々が連なっているのが見える」のであり、もっとオーバーに言うと、「山脈が壁のように並んでいるのが見える」ということになる。そうなると極端な話、大阪では「どの方向に山が見えるかで自分の居場所が分かる」わけで、前述の「山が近くにないと落ち着かない」という気持ちも理解できる。言ってみれば大阪は山に囲まれており(平野があるので盆地ではない)、一種の心理的な防壁みたいなのがある、という事であろう。逆に何もないだだっ広い部屋のど真ん中に自分が一人でいる時の事を想像すれば理解できる。そんなとき多くの人は「落ち着かない」であろう。
 東京の都市部にいると周りには、ただ一つの山を除いて山は見えない。そういう所に長く住んでいると近くに山がなくても気にならないのであろうが、その「ただ一つ見える」のが富士山なのである。いやあ、富士山を見ると本当に綺麗だと思う。私は小学校の時三鷹に住んでいたが、通っていた小学校の校舎から富士山が見えた。中学、高校、大学時代はJR中央線に乗って通学していたが、その車窓からも場所によっては綺麗に見えた。冬の澄んだ寒い日に見える白い富士山は(今にして思えば)どこでも見ることのできる風景などではなかったのだ。しかしこの富士山の美しさは「ポツンと見える」ところにあるのであって、大阪で見える山とは感覚が全く異なるものである。大阪人が東京で富士山を見たら、それはそれで良いと思うだろうが、それと大阪で見る山とは全然違うし、富士山を見たから落ち着くという性質のものでもないだろう。逆に私からすると、東京に住んでいたころ見える山と言えば富士山しかなかった。おそらく他の東京人の多くも山といえばまず白い富士山を想像するであろう。朝のNHKなんかでも冬にはよく遠くに見える富士山を映していたしね。また大阪人には多分あまり知られていない事だが、東京には「富士見丘」だの「富士見台」だのといった「富士山が見える場所」という由来の地名が誇張でなく百箇所以上あるらしい。おそらく東京では昔から富士山というのは風景の中で結構重要だったのではないか、と同時に山といえば富士山だったのではないかという気がする。
 そんな訳で「山」といった時に東京人と大阪人では想像する風景が全く異なるのではないかと思うのである。



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