私たちはYb化合物であるYb4Bi3の温度可変光電子分光を行い、Yb
4fスペクトルの温度変化を調べました。Ybは希土類元素の1つで、周期律表のランタノイドの行の右から2番目にあたります。希土類元素というのは4f電子が閉殻でないものが多いのですが、Ybは+2価の時f電子数は14となり、閉殻になります。また、+3価の時はf電子数は13で、あと1つ電子の詰まる余地があります。この状況はそれぞれ+4価と+3価のCeイオンと類似し、電子とホールをひっくり返した関係になっています。
そもそもこのYb4Bi3という物質を測定した動機は、これと同じ結晶構造をとるYb4As3という物質にあります。Yb4As3は、高温(約290
K以上)では立方晶で4本の等価なYbイオンの1次元鎖が存在します。Ybイオンは価数揺動といって、Yb2+とYb3+の状態が時間的に平均されて非整数の価数、言ってみれば中途半端な価数をとります。この価数揺動という現象は希土類化合物ではしばしば見られる現象です。しかしYb4As3は約290
Kで構造相転移を起こし、低温側では4本の鎖が主にYb2+ (4f14)からなる3本のlong-chainと主にYb3+
(4f13)からなる1本のlong-chainに分かれるという「電荷秩序」状態を取ります。この物質については私たちのグループはすでに光電子分光を行っており、論文J. Phys. Soc. Jpn. vol.67, 3552
(1998).にまとめられています。しかしながら今回のYb4Bi3は、同じ結晶構造であるにもかかわらず以上のような相転移は起こしません。そこでYb4Bi3がどのような電子状態になっているのかを調べる為に実験を行いました。
試料は新潟大工学部の落合先生(現東北大理学部)のグループに提供していただきました。光電子分光測定はつくばにある高エネルギー加速器研究機構にある放射光施設Photon
FactoryのBL-3Bで行いました。用いた入射光のエネルギーは125 eV(波長にして100オングストローム)、分解能は90
meVでした。
得られた結果をFigs. 1と2に示します。Fig. 1を見ると、フェルミ準位(0 eV)から4 eVに主に2つの大きなピーク、22〜28
eVにも2つのピークがどの測定温度でも見えます。前者はYb2+
4fピークに相当し、後者はBi 5dピークです。この前者のピークについては後で詳しく議論します。さて、Yb3+
4fピークというのは本来なら6〜15 eVの結合エネルギーの領域に何本ものピークとして出てくるものですが、ここではそういう構造はどの温度でも見られません。これはYb4Bi3という物質ではYbイオンが20〜300
Kでほぼ+2価である事を示しています。この物質ではYb 4f軌道は全て電子が占有しているということです。この結果は帯磁率等から得られているものと一致します。またBi
5dピークについては特に温度変化は見られません。
次にフェルミ準位近くのYb2+ 4fピークについて議論します。ます大まかにいって2つのピークがあると書きましたが、これはYb
4f軌道がスピン・軌道相互作用によって縮退度6:8(左のピークが6)に分裂した事に起因します。このスペクトルからそのスピン・軌道分裂の大きさは約1.3
eVである事が分かります。ところで、元々Yb
4f電子状態というのはどんな化合物でもバルク(物質内部)と表面で電子状態が著しく異なる事が知られていますが、この物質でもそれが良く反映されています。Fig.
2を見てみると分かりますが、さっき言った2つのピークというのはよく見てみるとそれぞれ幅広いピークとそのピークの右側にある小さい肩構造から構成されているのが分かります。今回用いた入射光は125
eVであり、この光で価電子帯光電子分光を測定すると表面状態を強く反映したスペクトルになります。よって、それぞれのピーク中の幅広いピーク成分が表面Yb2+
4f電子状態に、その右側の肩構造がバルクYb2+ 4f電子状態に対応していると結論づけられます。
さて我々が一番驚いたのは、Fig. 2にあるようにバルクYb2+ 4f電子のピークが大きな温度変化をしている、それも明らかにピークの結合エネルギーが温度変化しているという事です。というのも、通常相転移等を起こさない物質の光電子スペクトルでは特に温度変化を生じない事が殆どだからです。ですから、このような現象は、私たちの知る限りで相当稀なものである、と言えます。このスペクトルを詳しく解析してバルク成分と表面成分に分離したのがFig.
3ですが、これから表面状態は大きく変わらないのに、バルク4fピークが300
Kから20 Kの間で約80 meVだけフェルミ準位側にシフトした事が分かりました。
この「相転移によらないピークの温度変化」というのはあまり前例がないので、今後様々なYb化合物で測定してみる必要がありそうですが、少なくとも電荷秩序を起こし、Yb2+とYb3+が両方存在する「価数混合物質」Yb4As3やAsイオンを一部Sbに変えたものではこのような温度変化は見られていません。現段階では推測の域をを出ないのですが、ここで見られた温度変化はYbイオンの価数が+2価である物質に特有かもしれません。さらに考えていくと、試料を低温にしていくと、当然原子間距離、すなわち格子定数が小さくなります。ということは、低温にするという事は、試料に圧力をかけるのと似た効果が生じるとも考えられます(実際ある種の有機導体ではそのような効果が確認されています)。Ybイオンの事を考えるとYb3+の方がYb2+よりもイオン半径が小さい。よって圧力がかかって原子間距離が短くなるとエネルギー的にYb3+の方が安定になる事が知られています。今回の現象も温度変化(低温化)を「疑似圧力効果」として捉えると、
低温にすると原子間距離が短くなることで、Yb2+イオンが徐々に不安定になり、そのエネルギーが上がってピークがフェルミ準位に近づくというピークシフトを招いた
と考えられます。